ノイペルト社の伝統を受け継ぐ製品を一部ご紹介致します。

 

スピネット「ツェンティ」


新たに製造されたノイペルト・スピネットの“ツェンティ”(Zenti)いう名前は、1637年傾斜状のスピネットを初めて製作した、イタリアのジローラモ・ツェンティ氏に敬意を表し名付けられました。

移動が簡単で、しかし演奏者からの多くの音楽的な要求に応えられる楽器として、ノイペルトはツェンティというスピネットを製作しました。

《特徴》
□長さ148・、重さ31・という小型スピネットにもかかわらず、4 3/4オクターブという広い音域。
□リュートストップ並びに、トランスポージング(440-416 Hz)付
*トランスポージング機構:何かを差し込んだり、また梃子等を利用せずに、鍵盤部を横に滑らせるだけという簡単な機構。この原理をスピネットにおいて利用したのはツェンティが初めてのことです。
□天屋根を閉めた状態でも譜面台が使用可能。
□ヒストリカルなオリジナルの楽器を意識し、木製ジャック、皮製ジャックガイドレール、そしてデルリンの爪を使用。
□ヒストリカルな製造方法によって作られている。


チェンバロ 「イタリアン」


ノイペルト社製イタリアンチェンバロの見本になった楽器は、今日、オーストリア・ザルツブルグ(Salzburg)のモーツァルト生家で見ることができます。
17世紀後期、北イタリア・ベニス(Venedig)の有名なマイスターの手による作品と推測されています。

この楽器は、非常に大きく豊かな響きであるがゆえに、既に、以前の設置場所であったライプツィヒ(Leipzig)において、トーマス教会聖歌隊指揮者 ギュンター・ラミン氏によって、コンサートでも使用された事があります。

このオリジナルの修復作業をノイペルトの工房で行った際、素晴らしい響きの体験を得ることができました。そうしてこの楽器のレプリカを製作するという経緯に至りました。

この楽器は、イタリアの伝統である腕木部分に木工装飾が施された、軽い杉の木によって作られており、下鍵盤は象牙(牛骨)、上鍵盤は黒檀貼りになっています。



スピネット 「J.H.ジルバーマン」


J.H.ジルバーマン(1727-1799 シュトラスブルグStrasbourg)は、ジルバーマン家のチェンバロ製作者、アンドレア・ジルバーマンの末っ子であり、1789年にヨハン・ニコラス・フォルケルが書いたバッハの伝記の中でも、評価されています。

この、1767年にシュトラスブルグ(Strasbourg)で製造された、J.H.ジルバーマンのスピネットチェンバロのレプリカを作り続けてから現在に至るまで、豊かに響く5オクターブのスピネットモデルを変更することはありませんでした。 オリジナルは、バロック様式とロココ様式による家具としても立派で、職人の手による繊細な作業が施されている楽器です。しかし、音響的な品質はそのままに、外装を簡素にすることで安価にすることができないかという、顧客からの要求に応えるため、このモデルを製造することになりました。


チェンバロ「ブランシェ」2段鍵盤


フランソワ・エティンヌ・ブランシェ(1695-1761)は、18世紀のフランスでチェンバロ製作の基準となった、楽器製造で有名な一族の一員として生まれました。
彼の父であるニコラス・ブランシェは、ランス(Reims)からパリ(Paris)に移り、F.エティンヌとその地でチェンバロ製作を始めました。そして、当地でフランソワ・エティンヌはチェンバロ製作家として高い名声を得るに至りました。

F.E.ブランシェは、18世紀後半に、フランスのチェンバロ製作で重要な意味を持つ、パスカル・タスカンのマイスターでもありました。
F.E.ブランシェの死後、1766年にタスカンは彼の未亡人と結婚し、そしてその家族が、当地での楽器製造の伝統を最高潮に盛り上げたのです。

ノイペルトは、1737年のF.E.ブランシェの1段鍵盤のオリジナルを基に、この"ブランシェ"を製造しました。2段鍵盤にすることにより、コンサートチェンバロとして要求されること全てに対応することが可能となったのです。



ハンマーフリューゲル「ルイ・ドゥルケン」
(1815年製)



ルイ.ドゥルケンは歴史的な楽器製造の家系に生まれ、アントワープ(Antwerpen)とブリュッセル(Bruessel)で活躍しました。彼の祖父にあたる J.D.ドゥルケンは、3人のルッカースの後継者として、最高のチェンバロを作り一世を風靡したのです。

1761年 アムステルダム(Amsterdam)で生まれたその孫のヨハン・ロードヴァイク・ドゥルケン(Johan Lodewijk Dulcken)は、1780年ミュンヘンへ移り、1782年には宮廷チェンバロ製造者となり、内外で高い評価を得ることとなったのです。 彼の楽器は、ウィーン(Wien)、ペータースブルグ(Petersburg)の宮廷に納められました。またフランス王国のヨゼフ候后から注文を受け、3台のピアノフォルテを納品しました。 デュルケンは1831年70歳に楽器製造を止め、1836年75歳で逝去しました。

ノイペルトレプリカは、1815年にルイ.ドゥルケンによって製作されたオリジナルに基づき作られています。 このピアノフォルテには、モダン楽器のように、フォルテとウナコルダペダルが備え付けられています。 それに加え、当時のピアノ譜において標記されていた「ソルディーノ」、又はピアニッシモ部分で使用が許された「モデラトゥアー」が備え付けられています。

このフォルテピアノの明るく多様な響きは、ドゥルケンの理想とした、モーツァルトの時代を思い描かせてくれます。そしてなお、この軽いタッチ、また、6オクターブの音域は、古典派とロマン派初期のピアノ曲の演奏をも理想的なものにしたのです。



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