1831年にイグナースが他界した後は、息子カミュ(Camille)が家業を継ぎました。偉大なピアニストでもあったその音楽センスもあって、同社は国際的に認知されるまでに飛躍し、成功を収めました。
ピアノメーカーとして軌道にのったプレイエル社は、ロマン主義時代の最盛期、総体的視点から芸術を創りあげることに着目し、演奏者、楽器、聴衆、それらをつなぐ音楽の本質を追求した結果、サル・プレイエル(Salle Pleyel)ホールを設立しました。 多くの巨匠のミュージックシーンを演出し、威信ある音楽文化の発信スポットとしてパリに新たな局面をもたらしたこのホールは、フランスの音楽水準の上昇に貢献することになりました。
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