音楽が天職であるなら、完璧は探究の対象である。 Ignace Pleyel


好奇心旺盛な探求者であったプレイエルは、熟達した音楽家であると同時に革新的な発明家であり、1795年には楽譜の出版等も手掛けるなど、その多才ぶりは多方面に於いてその名を強く印象づけました。

彼が興味を寄せた人物としてはハイドンという存在があり、プレイエルは彼のもとで作曲を学んで、41曲のシンフォニーと71曲のカルテット、そして幾つかのクインテット、オペラを世に送り出しています。プレイエルの活躍はフランスのみならず、ヨーロッパ全土から注目されることになります。

留まることを知らない探求心をもったプレイエルは、当時の作曲家や演奏家の要求に応える楽器を生み出すべく1807年ピアノの製作を始め、「プレイエルピアノ」を誕生させました。

彼が人生を託したピアノは、その後独特の音色で急速にファンを増やし、女帝ジョセフィーヌや、ヨーロッパ王室御用達の由緒ある逸品として評価され、南北米を始めとする世界各国へ広く輸出されるようになりました。
1831年にイグナースが他界した後は、息子カミュ(Camille)が家業を継ぎました。偉大なピアニストでもあったその音楽センスもあって、同社は国際的に認知されるまでに飛躍し、成功を収めました。

ピアノメーカーとして軌道にのったプレイエル社は、ロマン主義時代の最盛期、総体的視点から芸術を創りあげることに着目し、演奏者、楽器、聴衆、それらをつなぐ音楽の本質を追求した結果、サル・プレイエル(Salle Pleyel)ホールを設立しました。 多くの巨匠のミュージックシーンを演出し、威信ある音楽文化の発信スポットとしてパリに新たな局面をもたらしたこのホールは、フランスの音楽水準の上昇に貢献することになりました。




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